こんなにも険しい顔を見るのは、初めてだ。
こんな表情も出来るなんて思ってもみなかった。











伊作は何も言わず黙々と、私の右手首を掴んで医務室に続く廊下を歩く。
私はというと、ただただ伊作に付いていく事しか出来なかった。
ちらりと伊作の表情を窺えば、やはりまだ険しい表情のままだった。

「・・・ねえ、伊作」
「・・・」
「手首、痛いよ」

結構強く掴まれているので、指先が少し痺れてきていた。
伊作は何も言わず、表情も変えず、こちらも見ず、歩みも止めなかった。
ただ、手首を掴む力だけは少し緩めてくれた。
なんとなく視線を足元に向けると、私の左手首が目に入った。
そこには伊作の頭巾がきつく巻かれている。


これが、今伊作が怒っている原因。



  ついさっきまで、私は学園の片隅にいた。
  そこは滅多に人が来ない静かな場所で、一人になりたい時によく来ていた。
  暫くの間ぼんやりと空を眺めてから、私は右手で苦無を掴んだ。



「そこに座って」

医務室に入ると、漸く伊作は口を開いた。
言われたとおりに座ると、一通りの道具を持って伊作が私の前に座る。

「傷をみせて」

淡々と私に指示をする伊作の顔は、さっきと打って変わり無表情だった。
何を考えているのか読み取れないまま、左腕を前に出せば、しゅるりと手首の頭巾が外される。
まだ血が止まっていなかったらしく、じわりと傷口から血が滲み出る。
どうやら少し深く切りすぎてしまったみたいだ。
ぼんやりとそんなことを考えていると、伊作の顔が辛そうに歪められているのに気付いた。

「・・・なんで、伊作がそんな顔、するの?」

滲み出した血が拭き取られていく。

「・・・には、わからないよ」

伊作は手当をしながら、そう言った。
丁寧に、かつ綺麗に包帯が巻かれていく。

「僕が今何を思っているかも、にはわからない」

包帯を巻き終えた伊作が立ち上がって、道具を片付けながら言う。
私に背を向けているので、どんな顔をしているのか全く見えない。
まだ、先程のような辛そうな顔をしているのだろうか。



  「・・・何、してるの」

  おそらくそこを通ったのは、偶々、だったのだろう。
  私が左手首から流れる血をぼんやりと眺めていた所に、伊作はやってきた。
  見られたことに私も驚いたが、伊作はそれ以上に驚いたのか、大きく目を見開いて此方を見ていた。

  「あ・・・」

  驚いた表情から、みるみる険しい表情に変わり、私が喋る前に伊作は私の左腕を掴んだ。
  そして、自分の頭巾を血が流れる左手首にきつく巻きつけた。
  そのまま今度は右手首を掴まれて、歩き出した伊作に引っ張られるように、私も歩き出した。



道具を片付け終えた伊作が、私の前に座る。
伊作から手渡された替えの包帯は、ほんの少ししかなかった。
多分、一回で使い切ってしまうだろう。

「包帯はこまめに替えること。それから、一日一回は医務室に来ること」

傷の具合を診るから、と伊作は言う。

「・・・あの、伊作。これを・・・その、下級生に見せるのは・・・ちょっと・・・」
「大丈夫だよ。僕も新野先生も居ない時は、一回分の包帯を渡すよう皆に伝えておくから」

そう言って伊作は私の左手首をちらりと見て、また先程の辛そうな表情をみせた。

「・・・あのね、

静かに伊作が話し始めた。

「別に、もう止めろ、とか言う気はないし、理由を聞く気もない。ただ・・・」

少し俯いている伊作の顔は、黒髪が掛かってよく見えない。

「・・・ただ、一つ約束してほしい」
「なに?」
「もし、・・・もし次同じことがあったら、その時はすぐに僕のところに来てほしい」

伊作は私の左手首を手に取って、傷口から少し上の辺りを指でなぞった。

「傷跡が残らないように、きちんと処置、するから」

そう言ってから顔を上げた伊作は、いつものような笑顔を見せた。。
・・・でも、どこか無理をして笑っているように見えるのは、多分気のせいじゃない。

「約束、してくれる?」

伊作は何も聞かないでくれた。
もうするな、とも言わないでくれた。
その心遣いがひどく嬉しかった。

「約束、するよ」
「うん」
「必ず、伊作のところに診せに行く」
「うん、約束だよ」

じゃあ今日はこれでお終い、と伊作は笑顔を見せて言った。
もう無理をして笑っているようには見えなかった。

「・・・ありがとう、伊作」
「うん」

最後に、少し傷が深いから無理はしないように、と伊作が注意してくれた。










2012.2.12 浹





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